はじめに

愛知大学豊橋校舎軽音楽部(以下、軽音)というのは、かなり個性的な芸術活動団体であった。 
私が軽音に在籍していたころは、まだ大学敷地の北に接した道路の拡幅前で、         
あたりはうっそうとし大木に囲まれ、学生さえあまり往来のないひっそりとしたところに部室があった。

私は1年生の7月になって軽音に入部したのだが、恐怖感にも似たあたりの雰囲気と人々の異様さに 
「反体制の音楽=Rock」を感じて「逃げたい」と思った。                     

最初の数日はすることもなく、時おり吹く風にざわつく木々の音に冷や汗をかきながら
ただ井戸のあたりに佇むばかりだったが、突然部室のドアがバンと音を立て、
たくましい上半身を汗まみれにし、髪はふりみだしたロングヘア、
眼光鋭く上目使いでこちらにやってくる男に、ユーライヤヒープのジャケット写真を思い出し、
気絶しそうになった。
続いて数人、やはりボサボサのロングカーリーで顔面が覆われてしまった上半身むき出しの男たちが、
無言で、ひとりずつ、部室から出てくる。
「ほ、本物のRockだぁっ!!」当時のRock(British)の風采はホラーに似たところがある。
私は悪魔の館の虜になってしまったことに大変な後悔をした。

既に4月から入部していた同級生が教えてくれたのだが、最初に出てきた人は赤○さんという先輩。
裸でいるのは夏の部室が暑いから、髪の乱れはリズムに乗って練習していたから、
赤○さんの眼光鋭いのは生まれつき、ということであった。私はこの現実的な説明にほっとし、
即退部することもなくなんとか軽音での生活を始められたのである。

この、蛇の巣穴のように感じられた軽音も、その年の秋ごろには楽器や機材の扱いにも慣れ、
先輩方とも話ができるようになっていた。と、同時に、軽音独特の遊びにも引き込まれていき、
「学内一周自転車タイムトライアルレース」、「斑尾合宿深夜の頭突き合戦」などを経て、
「深夜のゲームセンター集団破壊」を経験したころには、私も喜々として働き、
シーソーゲームのケースを破壊するあ○さ先輩、レーシングマシンのハンドルを曲げる土○先輩を見て、
Rockを感じ、憧憬を感じるようになった。

私の大脳に軽音というものが記憶され始めたのである。

その後も私は軽音生活を楽しんだ。しかし「これこそ学園生活」と誤解した私は、
就職活動が始まる頃とんだ困難に苛まれる。4年間の軽音生活はあまりに楽しく、
この長期の記憶が私の前頭葉の健やかな成長を阻害していた。
いわゆる普通の社会性が身につかなかったのである。あわてて新聞など読み始めたが、
社会の仕組みがとんとわからず、まともな社会人になれないかもしれないという不安で、へこんだ。

しかし、愛大を卒業し軽音を去った先輩方の「その後」を知るにつけ、私の心配は杞憂だということを知る。
ほとんどの先輩方が一流企業の社員、あるいは事業主として立派にやっていらっしゃるではないか。

「就職の軽音」である。

私は就職活動の遅れなどものともせず、悠々と名古屋の一流百貨店に就職を果たした。
軽音の暮らしの中で、漠と前途の多難さを感じないこともなかったが、
逆説的にいえば前途多難どころか前途有望な者が集まっている。それが軽音だと知ったのは卒業も間近に迫ったころである。

そんな軽音を代表する地元豊橋の先輩方3人が、冥土の土産をそろそろと、なんと「Rock Inn!」を開催してくださるというではないか。     

Bandはメンバーが揃ってこそBandである。 これからそのメンバーがひとりずつ欠けていくことを考えると何ともタイムリーな企画である。
私は狂喜した。そしてその主催者のひとりに土○さんが入っていることにも感心した。

まてよ。俺は参加できるのかな?

世の中はアメリカを震源地とした世界同時ドミノ倒し金融不況である。
世界のトヨタでさえ赤字見込みの「100年に1度」の金融危機である。主催する先輩諸氏はいずれも東三河を代表する著名実業家である。
仕事で苦労している朋輩もいるかもしれない。
今はまずいな、事業に集中しないと、あらためて来年練り直そう、なんて話はなかったのだろうか?

「僕ンとこなんかさぁ、受注が○○%も落ちちゃっとるだよ。」

メンバー集めより、銀行回りした方がいいのではないか?

100年に1度だもんでさぁ、来年はなくなっとるじゃん。」

これぞ軽音である!社会とどこか違わないといやなへそ曲がり。
「何とかなる」で生きる豪胆とあさぢえ。もし日本に軽音出身者が100倍いたら、
定額給付金の消費に回る率は格段に上がるだろう。
少なくとも豊橋界隈だけは、今後も個人消費は堅調だろう。

「経済の軽音」である。

軽音を去ってはや27年。いつしか当り前の社会人になっていたように思える。
しかし軽音を経験した者の大脳には軽音の記憶がぎっしりと詰め込まれ、 「Rock Inn!」などと刺激を受けると瞬時にその記憶が引き出されるようになっている。

者ども!集まれ!そして軽音らしく捕まる1歩手前まで騒ごうではないか!
記念すべき100年に1度の「Rock Inn!」である。一大ページェントだ。次は100年後までないかもしれない。

100年に1度の男

                       

100年に1度」といえば、軽音には「100年にひとり」出るか出ないかの傑物がいた。
こと、音楽についていえば俊才をあまた輩出した軽音であるが、この男、音楽以外で傑出していた。
その才能のほとんどはどうでもいいことなのだが、飛びぬけて他を凌駕しているという意味で才能といっていい。

名を吉川政徳という。名の由来は知らない。四半世紀の間、彼と同門の誼で付き合ってきた私としては、
さしずめ「政治的にふるまえば徳(得)をする」というような意味としてとらえている。

異相である。頭部がダチョウの卵大のため、遠くから見ると頭だけないように見える。
その小さな顔面には、目、鼻、口など一通りのものはついている。

声が異様に大きい。この声の大きさで迷惑を被った者が非常に多い。

しかし、これらをもって傑物というわけではない。

吉川政徳は僧侶である。智積院を本山とする真言宗智山派の末寺「西○院」のれっきとした住職である。
 開祖弘法大師様にお仕えする清廉な身である。

高校時代はワンゲル部に属していた。体育会系の硬派である。冬になると専ら山小屋にこもってアルバイトをしていたが、
このあたりは山寺の修行にも似ていかにも僧侶の息子らしい。このころの奇行譚も、聞いたことがない。凡人であった。

それではなぜ彼は「100年にひとり」の傑物と言われるようになったのだろうか?愚考するに、
彼の傑出したものは彼の毒のようなDNAとして存在はしたが、おのずと表面に現出したわけではなく、
高○さんやて○ちゃんを中心とした軽音諸氏が、その毒を引き出しやすい環境を提供し、結果毒が目覚めてしまったから、ではないか。

思えば、入部当時の吉川はけなげでかわいかった。それが卒業するころには、人を騙し、言い訳をし、弱みに付け込む全く別の人格に変質していたのだ。
僧門にありながら、酒を浴び、女の尻を追い回し、嘘をつく。時が戦国なら、比叡山より先に「西○院」と、怒った信長にめった切りに遇うところである。

しかし。

吉川は現代に生まれ、そして軽音に出会ってよかった。そして何より、同じ時代を生きた軽音諸氏はもっとよかった。
くだらないことのない人生なんてつまらない。吉川は他に真似のできないくだらなさで軽音の人々を喜ばせた。
吉川という存在は、接したすべての軽音関係者に二度と消し去りがたいくだらない記憶として残り続ける。
しかし、皆それでいいと思っている。吉川政徳はこうした人々の人生の一部になっている。100年たっても二度と出てこない、と思う。吉川政徳は。

発芽

先に述べたように、新入部員のころの吉川はけなげであった。この年の新入部員は少なく、しかも十分に奇人と呼べる人間が集まったので   
彼のこのけなげさは皆に喜ばれた。ワンゲルで鍛えただけあって、返事はさわやか、労働は厭わず、まさに下級生の模範といってよかった。                               そして、体育会系出身者らしくタテ社会をよく理解していた。

この、吉川の「タテ社会の理解」を屈折して歓迎したのが竹○さん、○橋さんらである。

「よ、吉川君って。な、何でも言うこと聞くねぇ。はははは。。。。。」

「おもすぃろいよなぁ。あいつ」

彼らは常に「よしかわ。よしかわ。」といって可愛がり、また吉川も上級生の期待に応えようと軽快に動き回った。                               
加えて、これら上級生は秋の学園祭で新人吉川のデビューを果たさせるべく、
K2B2(笠寺観音ブルースバンド)の結成に多大の尽力をした。

そんなころである。雄○郎と私はかわいい吉川を連れ、暇つぶしのため夜の暴走族見物に出かけた。
そして雄○郎の運転するカローラの中で聞いたのが伝説の「まめんもく」である。

「まめんもく?木魚か?」

「いや。あるでしょう。「真面目」っていう意味で「まめんもく」っていう難しい言葉が」

彼は自らの博学に勝ち誇り、額に大きな1本のしわをよせ、顎をしゃくって胸をはった。とたん、
雄○郎はこの男の初めての狂言に腹筋が痙攣しアクセルが踏めず、危うく大通りの交差点で車を止めるところであった。

この話は瞬く間にヒマな軽音諸氏の知るところとなり、寄ると触ると吉川の話題で盛り上がり、
ついにけなげ故のいじくり願望が諸氏の胸を熱くしはじめた。
「言うことを聞くよしかわ」から「言うことを聞かせるよしかわ」へと変わっていったのである。

上級生は、「まめんもく」に続く狂言を言わせようと必死になった。
そして吉川の舌をもつれさせると喜び、くったくなく笑った。純粋な享楽である。

「むけるむけんとむけんむけん」(名古屋に帰る名鉄車内で。売店の冷凍みかんを買い「冷凍みかんには剥きやすいみかんと剥きにくいみかんがある」という知識をひけらかそうとした)

「ボールの」(「このボール誰の?」このときも誰かに取られるのではと慌てた。正しくは「僕のボール。」擬人法)

「しんかめせん」(新幹線といっても、こだまは亀のようにのろいの意)

前頭葉のゆがんだ発育は、そのころの軽音諸氏に共通したものだったが、言語をつかさどる言語野については、吉川は既に発育が止まっていた。

こうした彼の発言のおかしさを、ほとんどの上級生は一方的に挑発と決めつけたくなり、その都度子供じみた報復を行ったが、                          
それは徐々に過激になっていった。彼は何度も井戸に落とされた。井戸から許しを乞う吉川の声は、でかかった。                                 
ある時はボディペイントされ怪獣となり学内を首輪姿で連れまわされ、またある時は松の大木に後ろ手で括られたうえバケツの冷水を浴びせられた。                           そのたびに吉川は憤然となり、

「どういうことぉ!」

     

「なにをするというのぉ!」

                                          

「いかんてぇ!」

「ちょっとやめてよぉ!」

抵抗を試みるが、大抵はやりたい放題やられる。彼の脳内のボリュームスイッチがゲインとミュートだけになったのはこの頃からだ。

ほとんどの人なら、どんなに耐えてもここで軽音を去るだろう。しかし奇怪なことに彼はこうした暇人の乱暴なおもちゃになったあと、必ずと言っていいほど笑顔で写真に納まっている

仏門の修行に通じるものがあるのか?とにかく、最終的にはすべてを受け入れた。

吉川が、発芽、したのである。

有名な事件のことなど

吉川は在学中、いくつかの有名な事件を起こしている。もっともその頃の軽音で事件と言えば、
物損関係では瀬○谷さん、暴力団関係は福○さんが有名だったので、何も彼だけが事件を起こしていたわけではない。

まず、天つね事件。正月2日の西○院での新年会は恒例となったが、毎年決まってそこで語られる。
今ではお経のようにすらすらと誰もが語る。

雄○郎と美人で評判の彼女が並んでフォーク研の横を歩いていた。
そこへ天つねから通りを横切った吉川が、やはりフォーク研に向って歩いて来るのが見えた。
正午を少し回った頃、周辺は食事に出かける学生であふれていたが、雄○郎が吉川に、

「おーい、よしかわぁ。つねさあいとるぅ?」

と、問うた。すると正面から来るその男はまるでニールヤングのギター並みの大音響で、

「まー○こ!まー○こ!」 (編集部注釈:女性器の通称)

と連呼したのである。

周辺の空気は瞬間固まり、美人で評判の彼女は数歩雄○郎から退いた。

雄○郎はひとりになった

ほどなく雄○郎は、この美人で評判の彼女から別れを告げられるが、この事件が原因でなかったとは言い切れまい。

文芸連事件。吉川3年の初夏の出来事である。
この年は、軽音部長の竹○さんが教職実習のため不参加であった。
竹○は怒ると怖い。しかも役柄、小うるさい。吉川も何度か筋の通った理由で怒られている。
そのせいか、この日の吉川は極めて鷹揚としていた。

ここにまたしても登場するのは高○、そして牧○である。
実習後に駆け付けた竹○をみんなでドラム台に押し込めたことにしようと口裏を合わせた。

「おーい、よしかわぁ。竹○をとじこめたぞぉ。」

吉川、簡単に引っかかった。

目を剥き眉を吊り上げた彼は、積年の恨み思い知れ、とばかりに飛び上ったかと思うと全身をばねのようにしてドラム台を踏みつけた。

「竹○ぃー!どうだぁ。思い知ったかぁ!!」

ズドン!ズドン!何度も何度も割れんばかりの大音響を立てながら、吉川は飛び上り、踏みつけた。

額に汗し、勝ち誇った表情の彼に、背後から声がかかった。

「よ    わ。」

振り向いた彼の顔からすっと赤みが消え、まるでジェイソンに遭遇したかのような驚愕の表情に変わった。そして彼は間もなく蝋人形のように無抵抗になった。

しかし、よく考えればわかることだ。竹○をドラム台に閉じ込めるなど、誰がやるか。そんな怖いこと

しゃぶげん事件。吉川4年の春。既に彼をかわいがった上級生は卒業し軽音を去っていた。彼は最高学年となり、しかも軽音の部長として天敵の去った軽音ライフを楽しんだ。彼の周りは下級生ばかりとなった。

この中にゴ○と通称されるギターのうまい後輩がいた。彼は授業やバンドの練習のあと駅前に出て、
しゃぶ源という和食店でアルバイトをしていたが、自由な時間がほしくなりそのバイトをやめようかどうか悩んでいた。
それを知った吉川は、部長としての責任を感じ相談に乗ってやることにしたのだ。

またしても昼時、学館でゴ○を見つけた吉川は、雑踏の中から叫んだ。

「ゴ○!シャブどうするんだぁ!」

「や、やめようと思います」

「やめるのかぁ。金に困るぞ。シャブはやったほうがいいぞぉ」

「もう決心しました」

「シャブ、やめるんかぁ。まあ、いいな。困ったらまたシャブやりゃあ」

このやりとりはその場に居合わせたある正義漢によって即座に学生課に通報された。

「けっ、軽音楽部が、麻薬をやってますぅ!」

部長である吉川が学生課から呼び出しを受け、説教を受けたのはその直後のことである。
この話を後日譚として聞いた多くの軽音卒業生たちは、またしても享楽的に笑い、楽しんだが、
その場にいられなかった身の上の不幸を悔やんだ。

エメラルドグリーンの輝き

吉川は愛大を卒業後、教師の道を目指し、日々それに備えた。傍ら、いくつかの事に熱中したが特に音楽活動はしていない。    代表的なものではタモリの落語、三河漫才、クレージーキャッツなどである。

彼はどうやら一つの事に集中して楽しむ癖があるらしい。買い物も着るものは決まって笠寺アドス
最近ではギターなら御器所のLights。器用に店を使い分けられない。故にその店の上得意=カモになる。
その笠寺アドスで新調したスーツを着て、竹○さんの結婚披露宴に出席したのは、吉川が愛大を卒業してから最初の一大イベントであった。

招かれた上級生たちは、既に見た目上社会人ではあったが、気分は十分に軽音であった。披露宴の後、出席者は連れだって記念撮影のためホテルの庭に出たが、
悪い事にそこにはゆったりと水をたたえるプールがあった。
極めて自然に、我々は竹○さんの結婚を寿ぐ儀式のごとく吉川の四肢をとり、
ゆるゆるとブランコのように揺らしたあと躊躇なくプールに放り投げた。こういうとき、新郎が胴上げとかされるものだが、竹○さんには、何も、しない。

ザブンという着水音の後、しばらく土座エ門のように浮いていた吉川は、冷たい水の爽快さを楽しむかのようにプールの縁まで泳ぎ、勢いよくザバッと水から上がった。

この時の吉川を見たものは幸運である。あおっぱな、などと言うが、青い鼻水なんて見たことない。
ところが吉川の鼻腔から垂れ下がった鼻汁は、みごとなエメラルドグリーン色だったのだ。軽音諸氏は
「吉兆だ」と笑った。またしても笑うだけである。

新婦の友人らは、このとんでもない享楽的な人々の輪の中に新郎がいることを不安がった。
さらに水から上がった吉川がこの時も笑顔で、いかにも楽しそうに写真に納まっている姿を見るに至り、新婦の友人らの不安は抜き差しならないものになった

「へ、変な人たちと付き合ってるのね。竹○さん。。。」

そうです。

永遠のアイドル

               

今回は、吉川の卒業前後までのエピソードを簡単にご紹介した。「Rock Inn!」ホームページオープンにいささかの花を添えることができただろうか?吉川という男、軽音にあって重鎮ではないが重要な人物である。ご存じない若い方も、彼を少しだけ知っておけばいずれ楽しいことがあるかもしれない。

軽音を去って以降も彼の奇譚は尽きることがない。酒と、女と、ウインドサーフィン
豊田の一人暮らしとアストロ自損泥酔運転事件。
最近では時価数千万円のギターの形見分けの話など進んでいる。
しかし、何といっても出色なのは、軽音関係者を驚天動地の混乱に陥れた「松○邸事件」だろう。私はその場に居合わせられなかった事を一生の不覚と、今も悔やんでいる。

豊田時代は、彼は浴びるように酒を飲んでいた。それが彼の体を蝕んだ。
毒のDNAをもってしてもかなわなかったようだ。彼が体調不良を訴え、酒を断たなければならなかったしばらくの間、軽音諸氏の気分は沈んだ。正月2日の西○院の明かりは消え、恒例の新年会もしばらくなくなった。皆、吉川の回復を願った。
共に青春を送った思い出の大きさを静かに、苦く、楽しく思い出す。

吉川の体調が回復したというニュースは横浜にいた私にも瞬く間に届いた。皆が喜び、まるで自分の人生が好転したようなそんな気持ちであふれた。

よう、よしかわ。体だけは大事にしてくれよ。いつまでもむちゃできる体でいてくれよ。
おまえは人ン家で食ったもので、片腕ができるくらいの栄養をとったと思うが、俺らぁは心に一杯の思い出をおまえからもらってるからなぁ。

                  

これからもよろしくな。よしかわ。

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(駄文 ちよまん)

 

 

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