一年生も半分を過ぎた頃だったと思うが、ある日『ON』で大活躍中の永田さんが新たなバンドを組みたい… という事で誘いを受ける事となった。 彼によれば演奏曲のカテゴリーはサザンロック…つまりアメリカンロックで 入学当時からブリティッシュヘビーメタルにぞっこんの自分にとって、アメリカンロックの印象はポップで明るく どこか軟弱なイメージの印象で今ひとつ好きになれず、加入には抵抗があった。 しかし説得モードの永田さんの下宿で聞かされた曲はオールマンブラザーズバンドおなじみの曲『ジェシカ』… http://jp.youtube.com/watch?v=WfM6nRVBvGs (チューニングの乱れがたまらんバージョン) “何だ!? この懐の深い…広大感は!” たちどころに参加を決めてしまった(当時のドルーピーに浮気した) メンバーはギター2本にベース、ドラムという4名のバンドで…それぞれのメンバーは全て先輩ばかり… まだ入部して月日も浅い新入生の僕にとっては付いていくのがやっとという感じだった。 バンドリーダーが『ON』の永田さんという事で、演奏(ライブ)の機会は軽音イベントにとどまらず、どんどんと 周囲の県にも広がり、いろいろな場所で演奏する事となった。 演奏曲としてコピー曲は当然、かの永田さんらしくオリジナル曲のプロモーションも積極的で、当然YAMAHA のコンテストにも多数出場、中でも『FRY BY NIGHIT』という曲は当時のPOPCONの候補曲としてノミネート され、出品のデモテープ録音の為、浜松の四つ池センターで本格的な録音(当時16チャネル録音)をプロの ミキサー付きで体験(まずは各楽器とも隔離された部屋でカラオケを収録、上にボーカルとコーラスを重ねる) する事ができた…今となっては貴重な思い出になっている(当時の録音は勿論アナログでカセットテープ だったが自分達の演奏では無い?と疑うほどの出来栄えだった…何処かで無くしてしまった) とにかくサザンロックバンドという事で、ファッションまでALLアメリカン…。ブリティッシュのように皮パン・ ロンブーまでは必要なかったが、ネルシャツとブーツカットジーンズ、さらにワークブーツは定番であり、 一式揃えるための小遣いには大変工面に苦労した。 また、今風の言葉で表現すれば先輩2人伊藤クニさんと金沢出身の倉本さん(永田さんは別?)はかなりの イケメンであらゆる演奏会場で女の子達の取り巻きに囲まれ、特にお昼の食事などは彼女達の愛情弁当で 全く不自由が無かったほどだった。(ごく短期間…高校生に追っかけられて困った記憶がある) そんなバンド生活も先輩達の卒業もあって2年ほどの短い期間で解散となってしまった。 今思えば、新入生の若輩が先輩メンバーの恩恵に預かって、なにかと良い思いをさせてもらったバンド そんなバンドが『サザン カンパニー』であった。 いつも演奏していた曲 ↓ http://jp.youtube.com/watch?v=0P8iTHpRD8g&feature=related http://jp.youtube.com/watch?v=mKx3eyOGXzU&feature=related PS…当時のバンドリーダー永田さんの彼女は本物のスチュワーデスで、毎回の演奏会を尋ねてくれていた… 優しくつつまれたい…そんな『大人の女性』だった。