『カマキリ男爵小島』・『イグアナ岡部』・『ドンクサ次』・『太田黒』などなど数多くのニックネーム
を命名! そんな中にあって『モンゴル』という名のバンド… 自分の命名したバンドの中で
彼らほど有名になってくれたバンドはあまり無いのではないだろうか?
なぜ『モンゴル』だったのか… その中の中心人物が間違いなくフビライ・チンギスのDNAを
を引き継いできた事を彼の顔から、ハッキリ想像できたからである(それが命名の動機である…)
彼のボーカルは、その顔からは想像できないほどの切れ味をもって、少し渋めの声で聞く人を心地
よく乗せていたように記憶している(ちょいと褒めすぎ?)

もう一人大陸を意識させた『てるちゃん』…小柄な体ではあったが、正確で重い確実なサウンドを、
しかもとても冷静に奏でていた、ベースという名にふさわしい音を出していた。
そんな彼に軽快に絡んでくるのが『本官(ほんかん)河内』のドラムス…
大柄な体を縦系のゆらぎを持ってゆったりとリズムを叩き出していた。 印象的だったのは『フィルイン』
(つまりドラムの『おかず』の事)…その最中の彼の顔は今だに忘れられないほどの印象的だった。

モンゴルのトリプルリードの迫力は圧巻だった… サザンロック・ウエストコーストサウンドには
欠かせない編成だったのだろう?! その一角を成していたのが『大田黒』…そもそもあいつが
ギターパートだった事が不思議でならない?!…どんなギターを弾いていたかも印象に無い…
ただ何故かしら存在感だけは当時から十分だったようだ。
最後のギターパートが『ゆうざぶ』…当時から“万障繰り合わせ”のギターと言おうか、どうにでも、
何にでも対応・順応できる技術を持ち合わせていた…彼の人間性そのもののような気がしてならない
そんな臨機応変なギターを弾いていた。

そんな連中を厚いサウンドで優しく包んでいたのが、かのキーボードプレイヤー瀬戸屋だ…
今でこそ無く子も黙るプロミュージシャンだが、入部当時からとにかく練習熱心で、深夜、或いは
朝まで練習をしていたように記憶している、本当に練習熱心な努力家だった。
彼のパーカッシブなキーボード奏法はルックスも相まって見る人達を楽しませた事は間違い無い。

いつも熱く、エネルギッシュな音を出す奴らだった… 数々のコンテスト・コンサートで愛大軽音
の名を轟かせた数々の功績は、いにしえの『ON』に続くバンド…『モンゴル』ではないだろうか。

『モンゴル』…回想

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