昭和51年の丁度今頃、随分と親に迷惑をかけ当時5つの大学を受験、あろう事か4校に合格!
…合格通知と大学パンフレットを目の前に悩んだあげく…“これだ!!”
…ある大学のサークルページに目が止まったのだった。
そこに写っていたのは当時見たことも無い26インチの巨大ツインバスドラムにツインタム
その合間から僅かにのぞいたアフロの頭と2本のスティック… “ここのクラブに決めた!”
かくして空手部のお誘い、さらには馬術部の乗馬勧誘にもめげす入学当日入部を決定した。

軽音の部室…薄暗い部屋の奥に…あの!あの!大学パンフに載っていたドラムセットが!
その日、太陽も西に傾きかけた頃、今は亡き大澤さん、永田さん率いるバンド『ON』
(二人のイニシャルから命名)のメンバー達がある種のオーラを放ちながら集まってきた。
はらわたをえぐるバスドラム、体に刺さるハイハットワーク、マシンガンのような深胴スネア
ビート♪その小さな体からはとても想像できないほどの爆発的なサウンドを叩き出す!
そう…大学パンフに載っていたアフロの頭と2本のスティックの持ち主…その彼こそが
我が師匠『今泉 正義』だったのだ。

彼の所属グループ「ON」の活躍は地元コンサートはもとよりYAMAHAコンテストの最高峰
『世界歌謡祭』にまでその活躍の場を広げていった(その時のグランプリ曲が中島みゆきの
「時代」であった)。 やがて彼は大学を卒業、ドラムトレーナーを職業としながら…その頃、
流行り始めたフュージョンをいち早く取り入れたバンド「フライングオクトパス」(その名は当時
同バンドのキーボードメンバーの平野氏…彼のニックネームが「タコ」であった事から命名
された事を後に知った)
スタジオミュージシャンで構成されていた「フライングオクトパス」の卓越したサウンドは
今泉氏が叩き出すシャープでパワフルなドラミングを見事に際立たせ当時YAMAHAドラム
のコンテスト企画『俺はドラマー!チャンピオンズシップ』で見事全国優勝に彼を導いたのだった。
このあたりから彼の才覚とともに演奏の機会、場所はどんどんと世間に広がっていった…。
かのドラムの神様『スティーブガッド』との会食、しかも3名での会食が実現した事は、今思い
出してもゾッ!とする出来事だった事は言うまでも無い…
こんな超サプライズが当時実現したのも『今泉正義』…すべては彼の才覚のおかげである。

やがて自分も大学を卒業…すっかり社会人となりドラムの記憶も消えようという頃…
昭和57年頃だっただろうか?かの『チャゲ&飛鳥=“ひとり咲き”が大ヒット!』
率いるバックバンドの中央で、あの往年のシャープな今泉氏のドラミングを聞く事となった。
続いてヒットした『万里の河』では当時の歌番組『ザ・ベストテン』のヒットチャートを連覇
毎週のように、しかもブラウン管を通して全国各地の会場で彼の雄姿を見る事ができた。
見事なメジャーデビューを飾ったのだった。
その後、記憶しているだけでも長渕をはじめとし数々の有名シンガーのバックバンドに参加、
ツアーに、スタジオに今現在も益々活躍中の彼である。

http://jp.youtube.com/watch?v=K_1P4mHkk7c&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=TPwobKa6SrM&feature=related


 
今泉神話

赤木さんよりの寄稿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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